自己愛について
久しぶりにブログを書きます。
今回は、自己愛について。
愛とはなんでしょう。恋とはなんでしょう。
愛と恋ってどうちがうの?と聞かれたらどう答えるでしょう。
ずっとわからなかった愛とは何か?の答えが、4年の探究を経てようやく見えてきました。
愛とは、あらゆることを感じる自分を赦せた(ゆるせた)とき、身に起こるエネルギーのこと。
それは、何を思ってもいい。何を感じてもいい。どんな悪口を、どんなネガティブを思ってもいい。感じてもいい。
そんな常識的にはNGだとされるようなことがあったとしても、そういうことすら、全てを赦す。
責める自分を赦す。罪を感じている自分を赦す。ネガティブを赦す。
私たち一人一人は、存在そのものが「愛」。
でも、赦すことができないのは、存在そのものが「愛」であることを私たちは忘れてしまっているから。
ジャッジしたくなるし、白黒つけたくなる。
周りを自分の思い通りにしたいし、自分も思い通りになるように努力する。
愛されたくてたまらないし、愛されなかったら生きていけない、だから愛さなければならない、と執着している。
当たり前のようにして生きているこういった観念は、私たち一人ひとりの存在そのものが「愛」であることを忘れてしまっている証拠。
存在が愛であるということは、何をしても何もしなくても関係なく、無条件で愛される存在であるということ。
もっというならば、愛されなくても良い存在であるということ。
愛されなくてもいいのであれば、そこにあるのは揺るぎない安心感と、自由。
そして、愛されなくていいと腑に落ちていれば、周りを気にせずやりたいことをやって、言いたいことを言って好きにしていたとしても結果的に愛される現実となる。
愛されなくてもいいと腑に落ちている時、自分の内側がどうなっているかというと、自分で自分を200%(もはや♾️無限大♾️)の限り、自分を愛している状態であるということ。
それは、高次元(ワンネス)とのエネルギーのつながりを強く持っている時、自分で自分を無限大に愛せているという状態になっている。
それができていると、現実世界から「愛される」ことを集める必要は無くなってくる。だって自分で自分を無限大に愛せているから。
結果的に、高次元とのつながりも強くなっていく。
現実世界ではネガティブな感情がナビゲーションになって、存在が「愛」であることを思い出して!って、宇宙が繰り返し教えてくれている。それこそが「愛」そのもの。
ネガティブな現実が、感情ナビゲーションを使って「愛」を思い出すサインがあることを教えてくれている。
そこで、ひもときという役割が入ってくる。
現実は、潜在意識の中にある「概念(または観念)」が創ってる。
存在愛を忘れていることを教えてくれるために、「愛されない」と感じる現実を通して、存在が「愛」であることを思い出してって、教えてくれているのだ。
この世は「愛しかない」世界。
もしそう思えないのであれば、自分の潜在意識の中にあるなんらかの概念の中に、「愛」とは真逆のエネルギーの考えが無意識レベルに入っているのかもしれない。
それは、自分を愛せていないよ、存在が愛なんだよ、と教えてくれている現実かもしれない。
一つひとつ、ゆっくり丁寧に紐解いていくと、自分という存在の全貌が明らかになっていく。。。
もっと内なる自分を愛してあげて!
もっと内なる自分の声を聞いてあげて!
もっと。。もっと。。