恐れに気づくことの意味

モヤモヤした時の、感覚。どんな感じ?

なぜ?あの時、あんなことを言ったのか?

なぜ?あの時、あんな行動を起こしたのか?

なぜ?なぜ?なぜ?

 

反射的に出てくる行動の意味を、自分でも理解できないことがあるかもしれない。

 

ただ後から、振り返ったならば。

 

そこにあるもの。それは、自分の潜在意識の中にある概念が、その出来事を創り出している現象であることは、紛れもない事実。

 

自分の中に、何がある?

何を?「〇〇」を恐れている?

 

先日、出かけた先で起きた現象について。

 

ほぼ初めて出会う人たちとのお昼のランチの時間、私は、食事の注文をしなかった。同時に、娘も注文をしなかった。息子は、本来食べたいものとは違うものを注文した。そして、次の日の朝の朝食の時間も同様に、私は、朝食を断った。

なぜ、私は注文しなかったのだろう。確かに、そんなにお腹は空いていなかった。食事をするイメージが、私の中にそもそも全くなかった。なぜか?

 

後になって振り返って思うことは、一つは、お金の不安と恐れ。もう一つは、その空間の中での会話の恐れを、避けようとしていたのだと思う。

 

この恐れは、本来、意味のなさない、幻想でもある。ただただ、自分の中にそういうものがあるんだと、認識できればそれで良い。分厚い概念の壁は、その認識を繰り返すことで、少しづつ打ち破っていくことができるのだから。

 

 

地球で生きるとは、その恐れに気づき続けるということ。その先に、真理が見える。真理に近づくということは、魂の成長である。魂が救われるのである。