癒しのヒーリングって、本当はどうなの?

いつも一緒に探求しているBe!!Happy!!のメンバーは、内観、探求と同時に音楽活動もされています。
そのメンバーたちが、先日、野外のフェスで音楽ライブをするというので遊びに行ってきましたよ。

 

会場は、第1回ジャパンスピリチュアルフェスティバル!@九重花公園

 

スピリチュアルというだけあってか、比較的ヒーリング関係の店舗さんやお客さんが多く来られていたような印象でした。

 

 

実は私自身も出展しませんか?というお誘いのご連絡を、主催者さんからいただいていたのですが、よくわからない怪しいイベントだ…、と、勝手に思い込み汗

 

私はまず遊びに行ってみよー!と思っていた矢先、Be!!Happy!!メンバーが音楽で出るとのことだったので、最終的にはワクワクしながら遊びに行ったという背景があります。

 

同じ敷地内には花公園もありましたので、お花畑を眺めにちょっくらお散歩へ。

 

さて。

スピリチュアル界隈にいると、ヒーリングを提供される方って結構いらっしゃるんだなあと驚きました。

数年前まで整体サロンをやっていた時も、スピリチュアルに関して無頓着だったし、目に見えない世界を馬鹿にしていたし、ヒーリングがなんなのかも分かっていなくて、自らやってみたいという気持ちもありませんでした。

だけど、生きづらさがどこからきているのかを解明するために模索していた結果、行き着いたところが精神世界であり、潜在意識であったことは確かでした。(だから今、ここに在るんだけどね)

 

ストイックに突き詰めていくには、やはりストイックな先駆者が必要で、ストイックな仲間が必要で。
そのメンバーがBe!!Happy!!だったんだけど(笑)

 

そのBe!!Happy!!メンバーのゆきちゃんとあきちゃんが昨年、お互いの探求の中で編み出した瞑想ヒーリングというオリジナルのヒーリング法は、私も現在必要な方にはお届けしているのだけど。

 

ヒーリングが「人を癒す」行為であることは誰でもわかると思いますが、Be!!Happy!!の瞑想ヒーリングが一般的なヒーリングとどう違うのか?を、ここに記しておこうと思います。

 

ヒーリングで人を癒すということは、目の前にいるクライアントが苦しんだり辛かったり可哀想だったりと、無力な人を癒す、無力な人を助けることで、施術者側の存在価値を上げたい、という人間のエゴが前提で施術するケースが大半だと思われます。(顕在意識で理解しようとしても難しいかもしれませんが、、、)

 

なぜこんなことを私が申し上げることができるかと言いますと、私自身が長らく、この概念で生きてきたからです。

 

自分の目の前にくる人は困っている人々だから、サポートしてあげなきゃ、助けてあげなきゃって、なんとかして頑張って自分を奮い立たせて努力してきた社会人生活でした。

 

目の前のクライアントが困っていて助けてあげなきゃいけない、という世界にいると、困っている人や助けが必要な人をずっと創り続けることになります。

 

無力から卒業することができないクライアントを創り続けます。
つまり、クライアントが自立できないということです。

 

施術者側は、助ける癒すということを通して、自分の存在価値を高めたいと思うということは、施術者自身が価値のない存在が前提、という概念の中で生きることになります。

 

だからクライアントにとっても無力であり続けるメリットがあり、施術者側にとっても助けることがメリットである、という共同創造(共依存)の関係を創り出しています。

 

私自身は、親がこの概念の中で長年生きている人なのでそのまま受け継いでいたので、どうしてもそれが当たり前の世界で40年以上生きてきました。

 

なかなかこの世界から抜け出すことができませんでしたが、繰り返し繰り返し気づいていくことで、今はクリアになり、この概念を外した世界にいます。

 

ではBe!!Happy!!の瞑想ヒーリングは一般的なヒーリングとどう違うのかというと、クライアントへのヒーリングを通して施術者側が自分自身の探求をすることができる、という点になります。

 

施術者は自分を知る探求をし、クライアントもヒーリングを通して自分を知る探求になるという共同創造の時間が、Be!!Happy!!瞑想ヒーリングの時間といえるのです。

 

ああ〜 なんて素晴らしいんでしょうか。

結局この世は、自分を知ることが全てなんじゃないかなあと思います。

行動は自分を知ってからなので、その次ですよ。

 

 

人は、人を助けることなんてできないのです。真理の世界ではね。

自分を助けることができるのは、内なる自分という存在のみ。

 

 

最後に。

人を助けることって一見、素晴らしいことのように見えるけど、一度それを疑ってみてください。

当たり前を疑うのです。

すると、物事を捉える世界(視点)が高くなって、観察が面白くなりますよ。