願いを許していないのは、じぶん。
(島根で撮った一枚)
自分の願い通りの現実になかなかならない、、、
自分の思いとは裏腹に周囲に反対されたり、不快になる言動をされたり。
思ってもいないくらいに状況が悪化してしまって、喧嘩が絶えないとか。
要は、被害者の現実が続いてしまう。
それはきっと、小さな出来事から大きな出来事まで。
何かしらの形でそれらの問題が終わらない。
そんな状況があるとしましょう。
例えば我が家の場合。
家族それぞれに対する問題が常に絶えませんでした。
子供達との喧嘩は絶えませんでしたねー。
長男と会話ができない。
長女は買い物の欲求が止まらない。
次男は夜泣きやお漏らしに悩まされる。
夫とは腹を割って対話ができず、いつも顔色をうかがい怯え、我慢してしまう。
数年前までは、そんな状況が当たり前の我が家でした。
内観をして自分と対話するようになり、自分自身の中にある感情や概念を認識するようになってからは、そういった状況はほとんどなくなりました。
子どもが無力でかわいそう。
何とかしないといけないわたしは無力で無価値で奴隷。
夫は支配者で権力を振りかざす(ように勝手に見えている)
誰に対しても疑い、信じられない(不信)
この辺りを毎回毎回、気づき続けて(認識)いました。
自分の概念を認識するとは、玉ねぎの皮を薄く薄く剥ぎ取っていくような作業。
コツコツコツコツ地道に、毎日、気づき続けるトレーニングをしていきます。
自分に気づくって、決して楽な作業ではありません。
とき苦しい時もある。
スピリチュアル視点でよく言われる願えばすぐに叶うというのも、法則としては単純なんだけど、それができない理由として概念が複雑に絡み合っている場合は、そう単純でもありません。
でもそれが何なのかに気づいてしまえば楽ちんでハッピー。
同じような状況は起こらなくなるし、少しづつ本質が見えてくると現実を見る見え方が変わって、どんどんハッピーな世界へ変化していきます。
私たちの本質は、創造主。
自分でどうにだって望む通りに現実を創ることができる可能性を秘めているのです。
被害者を続けたれば、一生被害者の現実で終えることができる。
被害者を卒業して、幸せな毎日を送ることだってできる。
どちらも選べる。
そして、被害者を卒業できない理由も必ず自分の内側にある。
例えばわたしが持っていた概念。
↓↓↓
願いを叶えることは、良くないこと。
願いを叶えると、苦しいことが起こる。
願いはいくつも叶えてはいけない。
わたしの存在自体が悪い。(理由なく存在悪を持っている)
こういうのを自分が深く潜在化させて持っていると、たとえ願いを叶えて幸せを感じていても、別のところで無意識にネガティブな状況を生み出してしまいます。
この場合、あまりに無意識下なので自分でネガティブを生み出しているという認識は皆無です。
瞑想ヒーリングなどで認識していきます。
最近のわたしで例えますとー。
先日出雲に行ってワクワク♪楽しい時間を過ごしていたのですが(前ブログに書いてますね)
帰りの道中車の中で、意味のわからない恐怖感に襲われていましたw
車走行のスピードがとても速く感じて、(いつもと変わらないはずなのに)怖すぎたのです。
国道での走行だと時速60km程度移動、高速道路も100〜120kmなのに、ジェットコースターに乗ってるかのような不安と恐怖がおさまらなかった。。。
行きはそこまで感じなかったのに、帰りに限ってとても強く感じてました。
これ、何なんだろー?と自分の内側がなんていってるのか内観しました。
それで気づいたのが、旅中、色々と願いを叶えてきた(小さな願いの連続)からさすがにやばい、みたいなやつです。
「叶えることは苦しいこと、という概念も持っている」ので、それに反応した不安や恐怖の感情だったのだと気づきました。
なんてこと!?自分でもびっくりしました。
勝手に湧き出てくる感情は、自分の中にある反応が何かを教えてくれるアラーム。
そうやって一つ一つ、小さな小さな変化に気づいてあげること。
大事なのは、こういった日常の些細な小さな小さな出来事が、大きな気づきを与えてくれるのです。
願いを叶えることを許可してないのは、誰でもない、自分自身だったんですね。
自分だけがピュアな願いを許してない、、、
そう思うと、自分のことを愛おしく見えてきませんか?
ちなみにスピリチュアルの世界で、願望実現がうまくいく人といかない人の違いは、こういった概念の有る無しの違いです。
元々受け入れてる概念が、潜在意識に書き込まれているか?いないか?の違いですね。
そのように考えると、めちゃくちゃシンプル。
今までと違った視点で日々を過ごしてみると、ほんとうに面白いですよ。