梅干しづくりと母との思い出
今日はお天気が良くなったので、梅干用の紫蘇を洗って、外に干してみた。
梅干しは母が毎年作っていて、実はほぼ買うことがない。
大量にストックがあるから、母が死んでもしばらくは梅干しに困らないねって、笑いながら話したことがあった。
今年は、母が生きているうちに梅干しづくりの極意を聞いて、自分で初めて作ってみようとチャレンジしている。
母好みの塩加減は、梅に対して12%濃度の塩。
地中海の塩を使うと美味しいらしい。
が、今回私は、沖縄の塩で作ってみる。
梅干しは、私が勝手に作っていた母との心の隙間を、今埋めてくれてる気がする。
思えば母は、とてもよく働く人である。
日頃は仕事をしながら、その合間を縫って、畑仕事をしたり季節の手仕事をしたり。
なぜそこまでして、働くのだろう。私には理解できないことが度々あった。
めんどくさいことを、なんでわざわざ…
元々母は食べることが好きで、自分で作ったものが一番美味しい、と自画自賛してる。
自分で作った美味しさを知ったら、スーパーで売ってあるものは買えない、らしい。
私が母の在り方に違和感を感じ、納得できなくなったのは、多分スーパーで売っているものが美味しくないという母の発言に、私の心が引っかかるようになったからかもしれない。
自分で作りたくても作れない人もいる
母のようにやりたくてもできない人もいる
そんなふうにジャッジするのは良くない
そう思うと、母に対して強い抵抗を感じるようになっていったのだ。
今思えば、母は本当の豊かさとか幸せを、多分、肌感覚で知っていたのかもしれない。
買うよりも、自分が手塩にかけて作る工程から実際に味わうまで、その一連の流れを楽しんでいただけ、なのかもしれない。
母の中にある実際は、どうだったんだろう。
私は実際に母と対話をして確認することもなく、勝手に決めつけ、母を敵視し、自分が被害者だと言わんばかりのスタンスで母と関わっていたのだ。
幼少期からずっと積もらせていた塵を、今、綺麗にすることで、ようやく母への思いに気づくことができた。
私も今年40歳になって初めて梅干しを作ってみてるが、自分で味わう時の豊かさや喜びがどんなものか、五感で味わって楽しんでみたいと思う。